最近Ankiと言うアプリをダウンロードしたのですが、まだその真面目はちょっとわからないですし、アプリとは言え要するに単語を表示して分かれば正解を押し、分からなければ難しいとかそう言うコマンドを押すだけなんですね。あとは向こうさんでこちらの記憶の定着度みたいなのを測って適宜復習のときにそう言う忘れがちなカードを表示してくれるようなのですがね。ただ普通に辞書アプリの履歴を使ってやるよりかは捗る気はしますね。それでは前回の続きを見ていきましょう。

哲学的不羈なる考えに陶冶されたる独立的思考の人は政治家の如きは不適当なり。なぜなら政治家の仕事は全般的な真理に関与するよりは寧ろ一般に広く認められたる常識により関与するものなればなり。哲学者なるものは、あらかじめ先入となるものを疑い、その心を平衡の地に措かんが為に長らく習慣となりたる者から離れんとする。而して政治家なるものは却ってそう言うものに依拠せんとするものなり。政治家なるものは常に他の人々と共に、彼らを通じ、また彼らに対し、そしてその大半を占める所の平凡なる人々に対して行動しなければならないのであるから、彼の頼みとする所は自ずからそれら他の人々に共有され得べき意見に与せざるを得ず。且つまた将来彼をしてその慣習的思考から脱せしむるならむ所の議論も彼らにとって説得力あり、容易に理解される如きものでなければならない。彼の目的はまず第一に世間と共に行けるところまで行く事であり、出来うることならば、さらに進まんがためにそこからまた歩みだすことである。然るに其の進むや、常に出来るだけ一般的なる思考様式に連関して導かれる所の彼ら平凡なる人々と同じ方向でなければならない。

文中、which shall induce~ の箇所よく解せぬ。

最後のbutの段であるが、ちと直訳は分かりにくいが、どの方向にas muchでなければならないのかと言えば、それはまず一つにguidedで修飾される内容である。即ち思考の一般様式に基づき先導されたる方向である。そしてもう一つは単にそういう思考様式という概念的なるもののみでなく、それはsameでなければならない。同じと言えば何と同じなのかを補わなければ意義が具備しない。無論、vulgus hominum(平凡なる人々) である。この二つを無理やり繋げて直訳した為に、少々持って回った言い方になった。

前回の続き。

ここまで学問の為の学問に専心するものの実務に不適当なるを見てきたが、それでもこの想像という者にはまた有益なる面があるのは当然である。それが今回読む所だ。

ここに実践的想像(practical imagination)なる者あり。公職にある者にとっては非常に有用である。それは事の顛末に於ける一連の事実と出来事を明瞭且つ詳細に跡付けるものだ。またその能力はある領域において豊かであっても、他方においては全く無いということもある。ウェリントン卿の如きは、軍事において其の才を発揮するも、政治においてはからきしだ。

コロナ狂騒!何の物かは!我々は今日もまた悠揚と前回の続きを読んでまいりましょう。

前回、学者の通弊として勇気阻喪し、味噌擂るが如き追従的なる(subservient)性質の人となるを見る。その続きであります。

そう言う弊害はあるにもせよ、また一方ではどうかと言うと(on the other hand)、想像と書物は其の他者に依存せぬことの崇高なる所以を示すと。

而して彼本性の気質と空想との狭間でよろめきながら(stumbling)、ぎこちなく優柔不断な、また一種強情意固地な(contumacious)様相を呈するに至る。其のような種々の撞着により、彼の天性の統一性と傾向とは破壊され、彼をして適帰する所なからしめ実務に堪えざらしむるに至る。

さらに、想像的なる人物は自らの人生を見ること、一種の話柄ならしめんとす。その結果、彼の人生に処するや、その人生を良くせんとするよりは寧ろよき話柄ならしむるが如く、また世間にて有用と思われてる者にならんとするよりは、寧ろ自ら興味ぶかしと思う人物たらんとすることになる。

What he conceives と what will be generally acknowledged の対比みるべし。彼自らを重しとし、世間一般の考えから遠ざかる也。

うちの工場の前にある木ははや若草を芽吹く候とはなりました。年々歳々花相似たりとは言え、うちは今月で独立しておよそ半年。行く末杳として知れぬ所ありますが、気を揉んでばかりおっても仕様もないので、従容として前回の続きをば読んでまいりましょう。

一行目のHisからですね。所謂学問のための学問をやる人間は実務と言うこの現実社会においてはちょっと使えない。あまり役に立たぬことを見た。彼らは世の中を一種の舞台とし、人々は其の単なる俳優と考えるが、実は自分こそ最も俳優たる境遇に居り、なおかつ俳優としては最も拙劣であると言う訳ですね。なぜか。続きを見ていきましょう。

彼の其の想像(fancy)は彼をして演じたいと思わしむる数多の役向きを示すが、それでいて其の役向きは彼此よく付節を合わせるもの(compatible)でなく、また彼の天性や年少時の習慣と暗合する(Reconciled)わけでもない。

次のitの指し示す所はto不定法也。例えば、よく其の勉学により涵養し来るに、其の勇気を阻喪(Undermine)し、また気力を減じて(abate)簡単に人に対して追従的なる(subservient)人間にしてしまうは想像的気質の本性なり。

cultivated by the artsの前句に掛かるや、後句に掛かるや判然とせず。by abatingを後句に掛けたれば、ここではcultivatedもto undermineに掛けたり。次の羅甸句は分からぬから省く。

私は今滋賀の彦根の方におりますが、緊急事態宣言の発せられるや、テレビではコロナの続報屢報引きも切らずに流れていますね。私の周りでは幸いな事に感染した人はおりませんが、それでもこう言うニュースばかりでは沈鬱な気分になるものです。とは言え、事態の終息するのでなければ個人で以てこの隘路に当たりて如何ともすること出来ませぬから、今日もまた気散じにでもTaylor のエッセーの続きを読むとしましょう。

前回、想像的、哲学的なる習慣に馴致したるはおよそ実務家には向かざるを見る。其の続きだ。長らく想像の世界に居りたる人にとって、世界とは多くの場合舞台となり、男女は単なる俳優とはならむ。

Butの次のitはthatを待ちて明らかなり。即ちwhen節の条件の満たされるに於いてはthat節なる事甚だ頻りに起こるなりと。

When節から見る。活発なる想像に普通相伴われる(ordinary concomitant)過敏さが其の効果をして減ぜしめられず(Counteracted)、また其の精神が適切に用いられたる他の能力により強固ならしめられざれば(Is not fortifiedの意ならむ)。

次にthat節を見む。全ての男女の中で、その想像の人こそ最も俳優たるものにして、且つまた全ての俳優の中で最も拙劣なる俳優たり。

要するにwhen節の如き時は、That節の如き状況に到るを免れずと言うわけだ。続きはまた今度。