前回の続き。

ここまで学問の為の学問に専心するものの実務に不適当なるを見てきたが、それでもこの想像という者にはまた有益なる面があるのは当然である。それが今回読む所だ。

ここに実践的想像(practical imagination)なる者あり。公職にある者にとっては非常に有用である。それは事の顛末に於ける一連の事実と出来事を明瞭且つ詳細に跡付けるものだ。またその能力はある領域において豊かであっても、他方においては全く無いということもある。ウェリントン卿の如きは、軍事において其の才を発揮するも、政治においてはからきしだ。

コロナ狂騒!何の物かは!我々は今日もまた悠揚と前回の続きを読んでまいりましょう。

前回、学者の通弊として勇気阻喪し、味噌擂るが如き追従的なる(subservient)性質の人となるを見る。その続きであります。

そう言う弊害はあるにもせよ、また一方ではどうかと言うと(on the other hand)、想像と書物は其の他者に依存せぬことの崇高なる所以を示すと。

而して彼本性の気質と空想との狭間でよろめきながら(stumbling)、ぎこちなく優柔不断な、また一種強情意固地な(contumacious)様相を呈するに至る。其のような種々の撞着により、彼の天性の統一性と傾向とは破壊され、彼をして適帰する所なからしめ実務に堪えざらしむるに至る。

さらに、想像的なる人物は自らの人生を見ること、一種の話柄ならしめんとす。その結果、彼の人生に処するや、その人生を良くせんとするよりは寧ろよき話柄ならしむるが如く、また世間にて有用と思われてる者にならんとするよりは、寧ろ自ら興味ぶかしと思う人物たらんとすることになる。

What he conceives と what will be generally acknowledged の対比みるべし。彼自らを重しとし、世間一般の考えから遠ざかる也。

うちの工場の前にある木ははや若草を芽吹く候とはなりました。年々歳々花相似たりとは言え、うちは今月で独立しておよそ半年。行く末杳として知れぬ所ありますが、気を揉んでばかりおっても仕様もないので、従容として前回の続きをば読んでまいりましょう。

一行目のHisからですね。所謂学問のための学問をやる人間は実務と言うこの現実社会においてはちょっと使えない。あまり役に立たぬことを見た。彼らは世の中を一種の舞台とし、人々は其の単なる俳優と考えるが、実は自分こそ最も俳優たる境遇に居り、なおかつ俳優としては最も拙劣であると言う訳ですね。なぜか。続きを見ていきましょう。

彼の其の想像(fancy)は彼をして演じたいと思わしむる数多の役向きを示すが、それでいて其の役向きは彼此よく付節を合わせるもの(compatible)でなく、また彼の天性や年少時の習慣と暗合する(Reconciled)わけでもない。

次のitの指し示す所はto不定法也。例えば、よく其の勉学により涵養し来るに、其の勇気を阻喪(Undermine)し、また気力を減じて(abate)簡単に人に対して追従的なる(subservient)人間にしてしまうは想像的気質の本性なり。

cultivated by the artsの前句に掛かるや、後句に掛かるや判然とせず。by abatingを後句に掛けたれば、ここではcultivatedもto undermineに掛けたり。次の羅甸句は分からぬから省く。

私は今滋賀の彦根の方におりますが、緊急事態宣言の発せられるや、テレビではコロナの続報屢報引きも切らずに流れていますね。私の周りでは幸いな事に感染した人はおりませんが、それでもこう言うニュースばかりでは沈鬱な気分になるものです。とは言え、事態の終息するのでなければ個人で以てこの隘路に当たりて如何ともすること出来ませぬから、今日もまた気散じにでもTaylor のエッセーの続きを読むとしましょう。

前回、想像的、哲学的なる習慣に馴致したるはおよそ実務家には向かざるを見る。其の続きだ。長らく想像の世界に居りたる人にとって、世界とは多くの場合舞台となり、男女は単なる俳優とはならむ。

Butの次のitはthatを待ちて明らかなり。即ちwhen節の条件の満たされるに於いてはthat節なる事甚だ頻りに起こるなりと。

When節から見る。活発なる想像に普通相伴われる(ordinary concomitant)過敏さが其の効果をして減ぜしめられず(Counteracted)、また其の精神が適切に用いられたる他の能力により強固ならしめられざれば(Is not fortifiedの意ならむ)。

次にthat節を見む。全ての男女の中で、その想像の人こそ最も俳優たるものにして、且つまた全ての俳優の中で最も拙劣なる俳優たり。

要するにwhen節の如き時は、That節の如き状況に到るを免れずと言うわけだ。続きはまた今度。

さて。巷間ではコロナのことで色々騒がしくなっておりますが、英文でも漢文でも読解においてああでもない、こうでもないと脳漿を絞るのは家に居ながらにしてボケ防止が出来るのですから、この状況に全く以て誂え向きではありませんか。

それでは、前回に続き二回目。学問上の優秀さはどこまで人材の登用に標準たりうるか。次の節を見ていきましょう。

学問に熱烈なる信念を持つ者(Confirmed enthusiast in literature)は実務家には向かぬと一文目。今で言えばオタクと言うことでしょうが、不向きなのはそう言うオタクばかりではない、学問に耽溺する人(confirmed literary voluptuary)、また思考のために思考するを習慣とし馴致せる者の如きはやはり実務家向きでないと。

なぜか。そのような習慣を涵養している者は、こと実務の段に及ぶと(reduced)、其の目的(The purposeのtheはBusiness)よりも思考そのものを重しとする性あればなり。

学問の学科の如き、もし其の方寸(the mind)長く且つもっぱら(exclusively)それらの如きのみに(them、imaginative, philosophic )傾倒する事(devoted)あらんには、想像的或いは哲学的なる者は実務と言う方面には殊に不適当なる学校と言うべし。

reduceは辞書にこうある。

If you say that someone is reduced to doing something, you mean that they have to do it, although it is unpleasant or embarrassing.

If something is changed to a different or less complicated form, you can say that it is reduced to that form.

COBUILD
Advanced Dictionary

即ち不本意にも其のような仕儀とはなると言う事だろう。literatureという高尚なるものからoperations of business と言う低俗への変化というニュアンスもあるかも知れぬ。