「其+動詞+(也)」または「~之+動詞+(也)」は名詞化するの論

Leave a comment

以下皆『』で括ってあるところは名詞化しております。読むに当たって「~こと、~とき」などを補って訳すれば分かりやすくなると思います。

  • 『君子事親』、孝 (孝經)
  • 為惑也』、終不解矣 (韓愈・師說)
  • 得水』、變化風雨、上下於天、不難也、『不及水』、蓋尋常尺寸之間耳 (韓愈・應科目時與人書)
  • 予獨愛『蓮出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫』焉 (周敦頤・愛蓮說)
  • 『學者講學勤業』、皆以時日之力 (貝原益軒・愼思録)
  • 與『同草木腐』、孰若緣孝孺倶為忠義之鬼 (五井純禎)

『君子之事親』ならば「君子の親に事(つか)ふること」の意、『其得水』ならば「其の水を得たるとき」の意の如きであります。名詞化すれば、それは普通の名詞と同じでありますから主語にも客語にもなれるのは言うまでもありません。『蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫』は長いですが此れ全体で名詞です。下線部は皆蓮の花の性質を述べたもので、仮にこれがよく分からなくとも、「蓮の花が云々かんぬんであるコト」と済ませてしまえばよいのです。結局、予は独り蓮の花の云々かんぬんなることを愛す、と読んで決着し、云々かんぬんのところは辞書でも引けばよいのです。『』が名詞化し「愛す」の客語になっておるという構造を大雑把にでもつかむ事が大切です。「其同草木腐」も「其の草木に同じく腐るコト」であります。名詞であるから前置詞「與」に対して客語となるのです。

以下のようなものは、名詞と動詞との間に「之」が入っておりませんが、仮にあるとして考えるのです。

  • 強秦不敢加兵於趙者 (十八史略)
  • 名利壞人、三尺童子皆知之 (陳亮)

これは「強秦不敢加兵於趙者」と「之」を補って考えるとよい。「者」は上語を名詞化するものでありますが、それが無くても意義は同じです。「名利壞人」も「名利壞人」として考えるのです。こちらは「者」がありませんがやはり名詞化しており、「名利(を求める心)が人を壊(やぶ)ることは、七八歳の子供でも知っておる」というのです。

 

【余談】

「名利壞人」が名詞化しておることは既に述べました。また名詞化すればそれは普通の名詞と同様主語客語にもなれることも既に上記に述べた通りであります。よって本来は「名利壞人、三尺童子皆知之」ではなく、「三尺童子皆知名利壞人(三尺の童子も皆、名利の人を壊るを知る)」とすべきようであることは、漢文をよく知らぬ人と雖も直感せられるところでありましょう。すなわち漢文もまた英語の如く動詞の後ろに客語を取るはずであります。然るに原文はそうはなっておらない。これはどういうことかと申しますと、「煙草は喫むが、酒は飲まぬ(煙草喫、酒不飲)」などの「煙草」「酒」と同じでして、動詞の客語を提示しておるのです。松下文法では『客体の提示』(六百九十九項)というところで扱われておるものです。客体を提示した場合には動詞の後ろにあるべき客語がなくなりますが、其の場所には何も置かなくても良いですし、また「之」の字を置く場合もあります。


【参考文献】

王力 『中国文法学初探』(一一九項)

Please give us your valuable comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です