疑問副詞「何(奚)」の用法

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「何」は本来は純内包詞、すなわち品詞で申せば副詞(ナンゾ)、副体詞(ナニノ)、動詞(イカン)などの如くに用いられますが、外延を帯びれば無論名詞(ナニ)にもなります。ただここで扱いますのは副詞としての「何」であります。松下文法に所謂「不定副詞」(二七九項)です。これには意味が四つあります。

  1. 理由
  2. 事物 (主客体概念)
  3. 場所 (同上)
  4. 時 (同上)

()はそれぞれが如何なる概念を表すかです。「理由」は主客体概念の如き補充性概念ではなく修飾性概念(修用語)を表します。いづれにしても皆副詞で、また漢文の癖として疑問詞は提示されるため、文の成分としては主客体概念を表す場合と雖も、主語や客語になるのではなく、どれも修用語となります。そのため「何」を始めとする疑問副詞は主客体関係内ではなく、修用関係内の主体的提示語(主体概念の提示)、客体的提示語(客体概念の提示)、属性的提示語(修用語の提示)にて扱われるのです。ちなみに疑問詞(名詞も副詞も)が上に出されることも「提示」の概念で統一的に処理されておることに注意してください。副詞の疑問詞はもとより修用語でありますから、成分の配列として動詞の上に来ることは当然であります。

而して今回問題とします例文は以下のものであります。

  • 下馬飲君酒、問君所之 (王維・送别)
  • 宜先立筋骨、筋骨不立、肉所附 (徐浩・論書)

赤字の「何」は主体概念を表しますが、いづれも不定副詞であります。副詞は外延がないというばかりにて、主客体概念を表せないわけではありません。たとえば、

花見に行きたりしが、花は散りたりければ~

の如き「花見に行きたりし」は動詞(純内包詞)ではありますが、主格的運用にあるのです。「花見に行きたりし所が」とすれば名詞になりますが、結局外延の有無のみの差でありますから、文法上区別するとはいえ、実用上は通用されるとは言うのです(『改撰 標準日本文法』五八八項)。これにて純内包詞も主客体概念を表せることが了解せられましたので話を「何」の用法に戻しましょう。

斎藤晌氏の『漢詩入門』(一五六項)ではこの「問君何所之」の意を斯く述べておられます、

「なんでゆくんだ」、「どうしてゆくことになったのか」というのであって、去ってゆく理由か動機かを訊いているのである。「どこへゆくのか」と行く先を訊いているのではない。

しかし、文法的にはこの「何」は主体概念を表すものです。読み下せば「何(いづく)がは之(ゆ)く所ぞ」というのです。「何が」というと名詞の如く聞こえますが、副詞として思惟するのです。「何」は場所を表すのです。明瞭に理由たることを表すには「何為之」(何為れぞ之かん)とでもします。もし「何」を主体概念を表すのではなく、理由を表す修用語として考えたいと言うのならば、「所之」を一種の変態動詞の存在的用法とでも看做して、「何ぞ之く所あらん」とでもすることになります。「肉何所附」の方はそう読んだ方が或は分かりよいかも知れません。「筋骨立たずんば、肉何ぞ附く所あらん」と。無論、「肉、何が附く所ぞ」で構いません。「何」を名詞に改めれば「肉何処是所附(肉(総主)は、何処が是れ附く所ぞ)」となります。

 


斎藤氏の説がどこまでも解釈的であり文法的ではなく、且つまた上記の松下説を補強するものとして楊伯峻の『中国文語文法』(二一〇項)より以下を引用しておきます。

(問女何所思、問女何所憶 (木蘭詩)の)「何所思」と「何思」とは違う。「何思」の「思」は動詞で、口語に訳すと「想什麽」(何を想うか)で、「何所思」の「所思」は実体詞で、口語に訳すと、「想的是什麽(想うもの是れ何ぞ)」である。「無所思(思う所無し)」は、「不想什麽(何をも想はず)」と訳せるが、「不思」とは異なっている。「不思」の「不」は、「思」が動詞であるから、副詞である。「無所思」の「無」は、「所思」が実体詞であるから、否定詞が動詞の働きをしているのであって、もし機械的に口語に訳するなら、「没有什麽想的(何の想ふこと有る没し)」である。

「何所之」は「どうして行くか」ではなく、「行くところはどこか」なのです。

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