「無」と「不有」とについて

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「無」は論理学で所謂「遮詮」のことでして、これから否定するのではなく、否定したところの結果を肯定的に表しておるのです。判断の形式はどこまでも肯定なのです。「不有害(害あらず)」と云えば否定でも、「無害」と云えば「害が欠損している」ことであり、否定ではなく肯定です。強いて否定と言う言葉を用いるならば、判断の否定ではなく意義の材料の否定というものです。判定の対象を否定的意義の判定概念すなわち既に否定されたところの結果である材料で以って肯定的に判定するのです。材料は否定でも其の運用は肯定なのです。

肯定
表詮
遮詮
否定
不有
不無

「有」と「無」との差は表詮と遮詮との違いのみで、いづれも判断の形式は肯定です。肯定でありますからこれから否定することも無論できるわけであります。

師旅之興不無害於天下 (周易)

「師旅の興る、天下に害無くんばあらず」などと訓まれますが、「害を無からず」です。天下に害が欠損している、ということはない、というのです。「無」は「有」と同様動詞です。「無かり」です。「無的状態としてある」のです。

否定

 

否定2

これは「不無害於天下」の全体が否定的意義の判定概念となっており、これから肯定も否定もされうるところの状態(遮詮)にあるものでありますから、再び否定することができるのです。直訳的に読めば「未だ嘗て天下に害無からざらず」です。「無からざる(無害が欠損している)」が遮詮です。読み下すには「未だ嘗て天下に無害ならずんばあらず」とでもします。


【参考】

『標準漢文法』百九十八項(帰着形式動詞)、五百三十項(肯定態と否定態)

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