詩は婉曲を貴ぶ

月曜日 , 4, 7月 2016 Leave a comment

杜甫の『国破れて山河在り』の詩に就き、司馬温公の婉曲の説き方がわかりやすいのでそれをまず見てましょう。

古人為詩、貴於意在言外、使人思而得之、故言之者無罪、聞之者足以戒也、近世詩人、惟杜子美最得詩人之體、如國破山河在、城春草木深、感時花濺淚、恨別鳥驚心、山河在、明無餘物矣、草木深、明無人矣、花鳥平時可娛之物、見之而泣、聞之而悲、則時可知矣、他皆類此、不可遍舉

昔の人の作詩は意を言外に述べる。直言せぬ。読むものをして自然とさとらせるのである。よって言うものは決して罪せられず、読むものは自ら誦して戒めとすることが出来る。近世の詩人で言えば杜甫こそ此の呼吸を得ておると言える。春望の詩にはただ山河は在りというのみ。然るにこれにて他に何物も無いことを明らかにしておる。次に草木は深しという。ただそれだけで賊に破られたる都城に人の姿のないことを表す。本来平時なれば見て楽しむべき花なるも、いまこれを見ては泣く。時に感じて花には涙を注ぐ。この一句にて今がどういう時なるかを知らしむ。いずれも戦火のありさまをば直接的に叙述しておらぬ。それでいて読むものをして時世の如何なるやを覚らす。他みなこの例を以て推して知るべし!、と。

参考に夜航詩話に於ける婉曲論を載す。

shiwa1

最後生憎切れてしまってますが、補えば然して士大夫をして必ず読み解す能はざらしむれば亦何の故ぞや、となります。要しますに徒に難渋な語を連ねて誰にも分ったような分からぬようなものを作るのが貴いのではない。意味が分からないのでは作詩になんの意味がありましょう。しかしだからと言って思うところを直接的に言ったのではよろしくない。言わぬ。が、しかし思わすのです。

いやいや、それにしましても肉体労働者泣かせの時期になりましたな。体力の消耗が激しい。そういうときに元請けさんに暑くてすぐくたびれますなーなどと言ってはいけない。これは直接的すぎる。水分補給が追いつきませんわ。これでよい・・・・・・。

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