漢文学習法

水曜日 , 29, 4月 2015 Leave a comment

昭和の英語学者 田中菊雄氏の『英語学習法』に以下の如きことが記されてありまして、また我々の勉強を鞭撻するところもあらんと思いますのでここに引用しておきます。

尚「虎の巻」のことについて或る高校生で英語の秀才が嘗て余(田中菊雄)に次の如き体験を語った。   「私の中学時代の英語は実に虎の巻のお蔭である。その虎の巻はなかなかよく出来ていて、学校の先生の講義よりも虎の巻のほうが却ってよかった。訳文にしても註解にしても遥かに明瞭にわかるのである。また学校では教科書が随分残るのが常である。教師依存の人はそれなりであるが、私は虎の巻のお蔭でそれらも十分に補った。「一体」と彼はさらに続けて言う。「一体、地方の中学で一里二里の道を通学してくる、英語に関しては頼りとなるべき父兄も友もない中学生の大部分は、学校における一時間の授業は概ね煙に巻かれて帰ってくるのである。教師の説明がよくわからず、甚だしきはまるで間違って覚えてくることも少なくない。また時には病気や家事で欠席することもある。その補いは何によってつけるのか。虎の巻に依らざるを得ないのである。私はむしろよき虎の巻の出でんことを希望するものである。そして教師がむしろこれが使用を公認し、積極的にこれが使用法を指導し、以て教壇の延長を計ることこそ賢明なのではないかと思う。云々」   これに対する余の答えは次の如くである。   一体電車とか自転車とかいうものは誠に便利である。しかしながらマラソン競争の練習をするのに電車や自転車を利用して果たして効果があるかどうか?今後ますます虎の巻が続々出てくるかも知れぬ。しかしながら真に学力を身に着けようとするものは、これに対して一顧をも与えぬことマラソン走者の電車、自転車に対すると同一でなければならぬ。上記の秀才が虎の巻によって力をつけたといっているのは、決して虎の巻の故ではないのだ。実は彼自身が偉かったのだ。彼自身のその自主的、積極的、旺盛溌剌たる意力は虎の巻の如き鈍力を以てすらもある程度の優秀な成績を挙げ得しめたのだというに過ぎない。彼に与うるに虎の巻の代わりに真に優秀な辞典と権威ある参考書とを以てするとしたならば必ずやさらに大いなる力を発揮し得たに相違ないのである。若しそれ、彼以下の意力の弱いものに至っては、足を奪われているのだと知りつつも、つい便利にまかせて自転車や電車を利用すると同様に、一度虎の巻の味を覚えると、辞書を引いたり、頭を働かして考えたり、参考書を調べたりする労力が馬鹿馬鹿しくなってくるのが人情である。諸君は一時の困難を憤然撃破するだけの意力を持たねばならぬ。「捨て身になって辞書を引く」これ以外に語学上達の秘訣は絶対にない。若しありと囁くものあらば諸君は断乎として「悪魔よ退け」と叫ぶべきである。  

『英語学習法』(十項、昭和十三年刊)

よき教師がいない、よき参考書がないなどと叫んでおる軽薄な学生に対するよき訓戒でありましょう。よき教師もよき参考書もあるに越したことはありませんが、もっとも必要なものは立志の二文字のみでありましょう。「志」なきこともっとも患へて可なりであります。 学習法

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