「何のままに」と和訓するもの(廣池千九郎氏の『支那文典』より)

木曜日 , 17, 10月 2013 Leave a comment

広池氏は「何のままに」と和訓される例として以下の如きを挙げておられます(『支那文典』四七二項)。

  • 斯舉矣、翔而後集 (論語鄉黨)
  • 子路問斯行諸、子曰有父兄在如之何其斯行之 (論語先進)

「色斯舉矣」は注疏に「馬曰見顏色不善則去之(馬曰く、顔色の善からざるを見れば、則ち之を去る)」とありまして、色とは顔色で、挙とは飛び去ることであることが分ります。而して一般的にこの「色」を読み下して「色のままに」とするのです。この「色のままに」とは広池氏の言葉を引けば、「これは其の下の挙とか行とか云ふ動作の有様や方法を示しておるのです」というように、要するに文の成分として修用語であります。「色」は名詞で、次の「聞」は動詞と言う風に品詞に差こそあれ、いづれも成分としては修用語なのです。「銃殺」といえば「銃で殺す」というように、この「銃」は名詞にして且つ下の詞に対して「殺す」方法を以って修飾しておるのに同じです。「色(斯)挙」は「色にて挙動する」のです。ただ広池氏はこの「色」を副詞とするのです。どうも氏の定義によれば連用的な修飾語は皆これを副詞とするが如くに説いておるのでありますが、しかし、料理を作るのが必ずしもプロの料理人ばかりでないように、他詞の用を修飾するからとて、必ずしも副詞とは云えないのです。副詞はもとより、動詞も名詞も連用格的に運用せらるる場合はあるのです。然る場合とても動詞や名詞が連用格的運用にあるというのみにて、決して品詞が変化しておるわけではないのです。「斯」(*)は松下文法に所謂「代副詞」です。「すなわち」くらいの気味。

(*)王引之『經傳釋詞』には

色斯者、狀鳥舉之疾也、與翔而後集意正相反、色斯猶色然、驚飛貌也

とありまして、「色斯」は「色然」に通じ、よって「色斯」全体で「あわてて」「おどろきて」などと訓ずべきように説かれておりますが、今は之を取らず。

次に「聞斯行諸」の「聞」に附いてでありますが、注疏を見ますと「若聞人窮乏當賑救之事、於斯即得行之乎(若し人窮乏し当に賑救すべきの事を聞けば、斯に於いて即ち之を行ふを得んや)」とありまして、「聞」とは何を聞くのかと云えば救済のことであります。救済すべき事柄を聞いたからには、すぐさま実行に移しましょうか、と孔子に問うておるのです。一般的には「聞くままに斯れ諸(これ)を行はんか」と訓まれますが、この「聞」も文法的には動詞にして下の詞に対して修用語であるというまでであります。行うに当たってどう行うかというその方法を以って下詞に従属しておるのです。この「斯」も上に同じ。聞いてそこにて之を行うか、というのです。其れに対して孔子が父兄もあることとて、どうして聞いてそこにて之を行うことが出来ようぞ、と答えておるわけです。「諸」は「之乎」の意。「其」も代副詞。「之を何に如(に)せるとして、そら聞いてそこにて之を行わん」というのです。

  • 唯命の語法

話が逸れますが以下の如きも「~のままに」と一般的に訓まれます。

制巖邑也、虢叔死焉、他邑唯 (春秋左傳・隱公)

「他の邑は唯命のままにせん」と訓みますが、これについては「唯命是聽的省略(唯命を是れ聴くの省略)」などと註され、さらに「昔者堯之治天下也、猶埴之在埏也、陶之所以爲、猶金之在爐、冶之所以鑄」 (管子任法)の「唯」「恣」の例を推して「唯」の訓詁に「恣」を当てるなどと説かれます。前者の省略の説は、たとえば萩原廣道が『てにをは係辞弁』にて下略の言などとして「秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ」 (古今集)の下には「まことにあはれなり」の如き言ありとしたのに似て文法的説明と解釈的説明とが混同しておるようにも思われますが、後者の訓詁の説は非常に分かりよいと思う。「唯」を「ほしいままにす」「したがう」などとして訓めば、たとえば

  • 萬姓之命在於將軍、大將軍 (漢書・霍光傳) *「令」は「命」に同じ。
  • 大王 (史記・刺客列傳)

上記の如きも統一的に理解されましょう。すなわち、「唯命」の語法は、

唯大王命之 ⇒ 唯大将軍命 ⇒ 唯命

の如き変化であり、決して「唯命是聽」の「是聽」が省略されたものというのではないのです。「唯大王命之(大王の之に命ずるに唯(したが)ふ)」には「命」の前後に其の主客語がありますが、「唯大将軍命(大将軍の命に唯ふ)」の形に於いては客語の「之」が無くなり、且つ「命」は名詞と看做し、而して「唯命(命に唯ふ)」に於いてはさらに主語(または命に対する連体語)も無くなるというわけです。「命(令)」を名詞として考えても「唯大將軍令」の如きは「唯だ大将軍の令のままに」と訓んで何ら問題ありませんが、「唯大王命之」の場合は「命」に客語「之」がありますから、どうしても名詞とは看做せないわけです。もし動詞性名詞として訓むならば、「唯だ大王の之に命ずるままに」とでもするしかありません。「命ずるままに」の国文法上の性能は名詞性動詞の一致格の独立化ともいうべきもので、漢文法とは関係ありません(勉誠社『標準日本口語法』五一六項「従属的詞の独立化」、四六四項「不完全断定」)。「唯」を連名詞性副詞として漢文法上の直訳をするならば、たとえば動詞性名詞の再動詞化、要するに複雑なる名詞性動詞にして其の存在的用法の如く解して、「唯だ大王の之に命ずるのみアリ」などとします。無論、名詞のまま叙述性を帯びしめてもよい。


広池氏の支那文典は精読したというほどでもなく、通読すらしたとは言い難い状況ですので、誤りや勘違いがありあましたら訂正していただきたい。

 

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