ブログアーカイブ

「為~所~」は一般に「~の~する所となる」と訓まれまして、被動(受身)を表すものであります。たとえば「富豪為悪 […]

たとえば、「嘗て登った山」「冬の山」と言ったときの「山」は自ら単独に考えられる具備した全き概念を表しておる。即 […]

有其善、喪厥善、矜其能、喪厥功 (書経・說命中) 「其の善を恃みとすれば、為に人から善有りとせられず、其の能を […]

根本通明先生の詩経講義に、 惠于宗公、神罔時怨、神罔時恫 (詩経・大雅) この「時」を「この」と訓んである。「 […]

以前に旧ブログで扱った記事についての補足です。 松尾捨治郎氏曰く、 (はやても龍のふかするなりけりの)「龍のふ […]

『標準漢文法』六八一項に「単純提示語」を説明して曰く、 単純提示語は、単に特に注意されて提示されるもので、題目 […]

「所」は品詞で言えば複性詞と言われる者で、これは名詞や動詞が単性であるのに対する名称であります。では何故に複性 […]

不定副詞の「何(奚)」に就きましてはこちらもご覧ください。今回見ますのは以下のごとき句であります。 子路宿於石 […]

広池氏は「何のままに」と和訓される例として以下の如きを挙げておられます(『支那文典』四七二項)。 色斯舉矣、翔 […]

『支那文典』七百七十五項に以下の如き例文あり。 使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之為聽 (孟子告子上) […]