Notes from life – Henry Taylor (7)

土曜日 , 11, 4月 2020 Leave a comment

最近Ankiと言うアプリをダウンロードしたのですが、まだその真面目はちょっとわからないですし、アプリとは言え要するに単語を表示して分かれば正解を押し、分からなければ難しいとかそう言うコマンドを押すだけなんですね。あとは向こうさんでこちらの記憶の定着度みたいなのを測って適宜復習のときにそう言う忘れがちなカードを表示してくれるようなのですがね。ただ普通に辞書アプリの履歴を使ってやるよりかは捗る気はしますね。それでは前回の続きを見ていきましょう。

哲学的不羈なる考えに陶冶されたる独立的思考の人は政治家の如きは不適当なり。なぜなら政治家の仕事は全般的な真理に関与するよりは寧ろ一般に広く認められたる常識により関与するものなればなり。哲学者なるものは、あらかじめ先入となるものを疑い、その心を平衡の地に措かんが為に長らく習慣となりたる者から離れんとする。而して政治家なるものは却ってそう言うものに依拠せんとするものなり。政治家なるものは常に他の人々と共に、彼らを通じ、また彼らに対し、そしてその大半を占める所の平凡なる人々に対して行動しなければならないのであるから、彼の頼みとする所は自ずからそれら他の人々に共有され得べき意見に与せざるを得ず。且つまた将来彼をしてその慣習的思考から脱せしむるならむ所の議論も彼らにとって説得力あり、容易に理解される如きものでなければならない。彼の目的はまず第一に世間と共に行けるところまで行く事であり、出来うることならば、さらに進まんがためにそこからまた歩みだすことである。然るに其の進むや、常に出来るだけ一般的なる思考様式に連関して導かれる所の彼ら平凡なる人々と同じ方向でなければならない。

文中、which shall induce~ の箇所よく解せぬ。

最後のbutの段であるが、ちと直訳は分かりにくいが、どの方向にas muchでなければならないのかと言えば、それはまず一つにguidedで修飾される内容である。即ち思考の一般様式に基づき先導されたる方向である。そしてもう一つは単にそういう思考様式という概念的なるもののみでなく、それはsameでなければならない。同じと言えば何と同じなのかを補わなければ意義が具備しない。無論、vulgus hominum(平凡なる人々) である。この二つを無理やり繋げて直訳した為に、少々持って回った言い方になった。

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