「如何」

月曜日 , 25, 11月 2013 Leave a comment

白文(八文字):

寒暑到來如何廻避 (碧巌録)

漢文法:

多久弘一氏の受験参考書『多久の漢文公式110』を見ますと「如何」は「いかん」と訓じ、手段、方法、処置を問うとありますが、文法的に考えれば「動詞(帰着語)+客語」の構成に過ぎません。「如、若、猶」はいづれも松下文法に所謂「名詞を客語に取る帰着形式動詞」です。「似る(自動)、似す(他動)」と解せばよい。すなわち「如」は動詞であります。「如何廻避」を文法的に直訳すれば、「(方法を)何に如(に)せて廻避せん」となります。日本語に於いてもわざわざ「方法をどのようにして回避しましょう」などと云わずとも、単に「どのようにして回避しましょう」で通じるように、漢文に於いても「何に如せて回避せん」で意義全きものとして成立しておるのです。「如」が動詞であることが分ってしまえば、動詞として取り得る格は之をすべて取りうるのでありますから、「如何」を読み下して「如何せば、如何なれば、如何して、如何なる」などと従属格的な立場にあったとしても何ら不思議でないことが分りましょう。また「無如何」を読み下して「如何ともする無し」となりますのを文法的直訳すれば、「何に如(に)するコト無し」でありまして、これは「如何」が名詞化したのみであります。

訓読:

寒暑到来せば、如何にして廻避せんや

漢文法(補足):

「寒暑到來」の「到来」は動詞の仮定拘束格(未然+ば)と看做したがために斯く読み下したまでであります。然らば斯く看做した所以は何かと申せば、「寒暑が到来したならば、どうして回避しましょうか」の如き解釈あるが為であります。然らば斯く解釈した所以は何かと申せばそれは己の心が然したとしか云えない。純文法上は、「到来する(第四活段の実質化、要するに名詞としての性能)、到来す(終止格)、到来せよ(終止格(命令))、到来して(方法格)、到来すれば(現然仮定(または確定)拘束格)、到来すとも(仮定放任格)、到来すれども(現然仮定(または確定)放任格)」等のいづれとも定め得ないものであります。

 

「如何」(参考):

寒暑の到来をどう避けるかについて問われた和尚はこう答えた、「寒暑無き処へ避難すればよい(何不向無寒暑處去)」と。すると問者は和尚の言を理解しえず、また以下の如く「其の寒暑無き処とは如何なる処か」と云った、

如何是無寒暑處 (碧巌録)

この「如」も上記に同様、本性として動詞ではありますが、名詞化しておると考えればよい。すなわち動詞性名詞(変態名詞)であります。直訳すれば「(場合を)何に如(に)するコトが、そら(是)寒暑無き処(たる場合)ぞ」と言うのです。どんなである場合が無寒暑の処である場合か、というのです。「無寒暑處如何」とすれば、「無寒暑の処は、何に如る」の意。意義に於いて大差無し。

訓読:

如何なるか是れ無寒暑の処


【参考】

松下大三郎 『標準漢文法』(二一四、七〇八) *上述の「如何」は皆「単独の如何(客体を提示すれば「何如」となる)」のほうです。「何」は客体です。「如」は「似る、如し」の意。「比較の何如「如何」とは決してならない)」の「何」は主体概念で、「如」は「如(し)く、まさる」の意。(例)何如其父 (何が其の父に如かん)

井上秀天 『碧巌録新講話』(四四一)

Please give us your valuable comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です