現代中国語と漢文とに於ける詞と辞との区別

日曜日 , 13, 10月 2013 Leave a comment

漢文法に於いては松下文法に所謂「原辞」の概念はほとんど必要ないとは雖も、やや時代の下った漢文や現代中国語の場合には「詞」の概念だけでは不十分となりますので、少し其の例を載せておきます。

  • 明不得行不去、須反在自心上體當 (傳習錄)
  • 今人受不得許多痛苦 (薛既揚)
  • 吃不了

赤字の部分は連詞ではなく、連辞と考えると分りよい。「明不得」は「不得明」と同義でありますが、前者はそれを連辞を以って表し、後者は連詞(連詞構造は図参照)を以って表しておるのです。不得明直訳的に読めば前者は、「明らめ得ず(連辞)」にして、後者は「明らかにするを得ず(連詞)」でありあます。「明不得」は連辞にして全体で一詞となるものでありますから、「明」の後ろに客語を入れるようなことは出来ません。「夢を見果てる」とは云えても、「見夢を果てる」とは云えないのに同じです。「見果てる」が既に連辞的単詞として密着しきっておるために、他詞を差し挟むことは出来ないのです。依って客語を取る場合には「受不得許多痛苦(許多の痛苦を受け得じ)」の如くします。「受不得」という連辞的単詞が「許多痛苦」なる客語を取るのです。「許多痛苦不得」とは出来ないのです。日本語で言えば「受け許多の痛苦を得じ」とは云えないのに同じです。「受」と「不得」とは連詞ではなく連辞なのです。三辞全体で断句の材料として扱いうる一詞となるのです。依って「受」は動詞ではなく動詞的原辞であり、「不」も副詞ではなく副詞的原辞と見るべきものであります。而して「受不得」の全体をばこれを動詞とは言うのです。「吃不了」も「食べることが終わらない(連詞)」のではなく、「食べきれない(連辞)」のです。「不了」は日本語の所謂助動詞よろしく上の動詞に密着しておるのです。連詞ではなく連辞の単詞たる所以であります。現代中国語に於いて完成・実現を表すアスペクト助詞と呼ばれる「了」の如きも、上の動詞(厳密に言えば動詞的原辞)に結合して動詞の意義を豊富ならしめる助動詞と考えると分りよい。『標準漢文法』では実質語たる不定法動詞に対する形式語として説かれております(一九一項、六六五項)。もし其の理屈を適用するなら「明不得」は、「明」を実質語とし、「不得(することが出来ないの意の形式詞)」を形式語とすることになります。「明」なる実質概念(補充語)を以って「不得」の形式的空虚を補充しておるとみるのです。いづれにしても全体で実質形式相備わるところの全概念となるのです。

 

  • 你們一箇聖人與人講學 (傳習錄)

「拏」と「去」との間に客語が入っておりますので、「一箇の聖人を拏(とら)へ去りて」と読み下すにあらずして、「拏へ(て)、去り」と連詞として考えるべきものであります。「拏一箇聖人」が実質語で「去」が形式語です。「拏」と「去」との関係は詞と詞との統合関係にして、辞と辞との結合関係ではないのです。「去」は「拏一箇聖人」を実質語として承けて之に形式的意義を付与しておるのです。此くの如きは確かに実質関係の連詞といえましょう。


 

【参考文献】

堀重彰 『日本語の構造』三〇八、四八八項(活用、助詞、助動詞の違いについて)

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